娘たちは・・・ 2004.03.28
 
あっという間に一週間が過ぎた。送別会や慰労会が毎日のように入っていた。普段ぜんぜん飲まないボクが唯一飲める期間だ???福岡にも行って来た(親父もだいぶ回復していた)。

ここでは、南川鍼灸院でのケアと、東福岡高校に行って全福岡の練習を見てきた。ちょうど試合をやっていたが、やはり福岡の高校レベルは高い。その合間に1年生のSHの指導をしたが、みるみる上達。それはそうだ、草ヶ江、香椎、鞘ヶ谷ら、ラグビースクールから来ているSH経験者なのだ。その中でも草ヶ江出身の和田は、昨年のSH(法政)の弟で城南中出身でもある。小さいが、まだ背も伸びていると…。そうそう、同じく卒業した和田の控えだった森は東海大に進学とのこと。身長もだいぶ伸びたと聞いた。

話は戻るが、試合ではやはりSHに目が行く。今年のヒガシのSH杉山も3拍子そろっている。ディフェンスでの強さも感じた。他に面白い選手としてはFLの有田、彼は男ばかり4兄弟の3男?で次男の兄貴は日本代表U19のキャプテンも務めた中大のCTB。そして、一番期待されている4男も4月からヒガシに入ってくるという。頼もしい限りだ。

休む間もなく職場の慰労会、ワイサキ送別会、ファン感謝祭、納会と続いた。ゴルフもやった。これらの件、また別途報告します。


PS.
ユメカのバレエの発表会を見に行った。出ると聞いて1ヶ月、一日の練習は、ときに3時間と夜遅く続いた。なのでとても楽しみにしていたのだ。2つのショーをこなした娘のバレエを見て感動した。お遊戯ではなかった。完全なショーだった。そしてアイリは28日、3歳になった。4月からは姉と同じ幼稚園に通うことになる。3女もスクスクと元気に育っている。ボクもそろそろ始動するかな…。


東芝優勝!!! 2004.03.28
 
日本選手権決勝は、22-10で神戸を振り切り、東芝府中が5年ぶり(3連覇以来)4度目の日本一に輝いた。

今期の東芝はスタンディングラグビーを掲げ、強力フォワードを前面に押し出しては、バックスの深く長く、速いラインに球を供給。見ていてとてもシンプルだが、そこにチームの強さを感じた。決勝戦こそ、お互いに接点で激しくぶつかり合ったせいかミスを連発。しかし、ミスをしていたのはあきらかに神戸のほうが多かった。東芝がしっかりとスカウティングをした結果、テクニカル部門の勝利とも言える。逆に、前半こそ神戸はミラーの効果的なキックで常に敵陣をとり、ゲームを支配していたのは明らかに神戸だった。なので、支配していた時間帯での度重なるノッコンは、乗りかけたリズムをみずから落とす結果を招いた。ただ、うちも今期東芝と3回戦ったが、最後の試合は神戸同様、やりたいことをやらせてもらえず、自滅した結果になったのも、東芝の激しいプレッシャーがあったからだ。

この試合のMVPを選ぶのは少々難しい。キャプテンシー抜群の富岡をはじめ、なにせみんなが活躍しているからだ。フォワードでは釜、ノック(横山)の両ロックの仕事量、そしてバランスの良さには脱帽。『押す、上げる、モールの核』の釜に対し、『飛ぶ、走る、キャッチ』するノック。バックスでは、島崎の冷静なゲームメイクは5年前と変わらず、マクラウドが入ってゲームがスムーズに動き出し、立川がトップスピードでラインを切って行く。そして最終的にはカウンターによる森のトライが生まれた。森は3連覇時代の『青い稲妻、森田』の走りを彷彿させた。

後半途中からインパクトプレーヤーとして活躍したのは品川。これは文句なしだが、同じく途中から入った松田の攻守にわたる活躍、ベテラン健在だ。品川のダメ押しトライを演出したのも松田だ。

最後に、シーズン通して1番輝いていたのはスクラムハーフの伊藤だ。ほぼフル出場し、この日もチームを鼓動した。もともと持っているものは高く、1度はジャパンにもなった選手だ。しかし、ジャパンを落ち、東芝でもレギュラーをとられたシーズンもあり何度も挫折を味わった男が復活…。マモル、お前が俺の中でのMVPだ、おめでとう!これからが本当の勝負。マモルの時代になるかはおまえ次第。チームは変わってもいつでもメッセージは贈るよ。

タケ他、神戸の選手も長いシーズンお疲れ様。神戸のトップリーグ優勝にはじまり、NECのMSカップ制覇。そして最後に東芝の優勝。この上位3チームをターゲットに、来期はヤマハジュビロも優勝争いに加われるシーズンにしたいと思う。もちろん目指すは日本一!!!

※試合開始前の国立競技場では、日本代表キャップ授与式が行われた。最後に代表スピーチをしたのはこの私。前日の夜に聞き、他にいないのかと叫びつつも、メンツを見て納得…?。そのスピーチまでは長い道のりだった。余裕で国立につくはずが、5年ぶりとあって場所がわからず?、はじめは水道橋でおりて、東京ドームに向かってしまった。『ここはマモルの結婚式やったとこじゃないか?』、あわてて電車に飛び乗り、信濃町で駅員に聞いてようやく場所にたどり着くこと20分遅れ。難波に『遅っせーよ』、などとやじられ、パパラッチ広瀬にはデジカメ撮られるし…。日本協会の方々には大変ご迷惑をおかけいたしました。スミマセン。あと、うちのJIN君に山形さん、心配かけてゴメンネ。ということで、来期も現役続行です。宜しくお願い致します!
※キャップ授与式の模様は<こちら>にも!
PS.308日ぶりのゴンゴール!
ジュビロは、グランパスに3-1で2連勝。ゴンは301日ぶりのスタメンで、久々のゴンゴール。早速の結果には、やっぱ凄いっす!。西も代表復帰でサッカーもまたまた楽しみだ。


親父3 2004.03.19
 
中学に上がってもボクは3年間『草ヶ江』のレギュラーに戻ることはなかった。みんなより頭1つ以上小さかった(131cm)ボクにはBチームのウィングというポジションがあたえられただけ。練習についていくのがやっとだった。そのかわり、ボクは兄貴も通った城南中学のラグビー部にも所属。目標が兄貴だったため、ポジションをスクラムハーフに転向。2年生からレギュラーになるも連戦連敗。結局1度も勝てなかった。当時最強だった『草ヶ江ヤングラガーズ』とは天と地の差だった。ただ、中学に入る前から、こんなに小さかったボクに、『あいつは将来日本代表になる』と言ってくれた人がいたらしい。それは、のちに聞いた話だったが、当時NZに行かなかったチームで、湯布院での試合を見ていた、当時九州協会の新島さんという方が、ボクのことを『森(明治ー釜石)のようだ・・・』と言ったあとに、冒頭の言葉になったらしい・・・。

話は戻るが、部活以外に必修クラブを選ぶとき、何をしようかと迷っていたときに親父が一言、『柔道せんね?強うなるバイ』。柔よく剛を制す、小さくても相手を倒す技はここから生まれた。ことあるたびに助言をくれた親父。試合で負けてもいつも前向きな親父の言葉は、ときに優しすぎた。しかし、そのポジティブな考えがボクを保守的にせず、いつでも前向きで革新的な人間に成長していくことを親父から自然に学んできたのかなあとつくづく思う。兄貴らに聞いたことがあったが、瞬間湯沸かし器?だった親父が、ボクが生まれてからは、カミナリが落ちることが少なくなったらしい。

今となっては、ボク自身30カ国以上の海外を経験。フランスでは家族で2シーズンを過ごし、毎年のように海外合宿に行ける環境にいるのも親父のおかげだと思っている。『海外やらいつでも行ける!』その親父を支える母も若くはないが、未だに元気なのは僕等3兄弟がそれぞれの場で活躍しているからだ。そんな親父を、両親を、そして兄弟をボクは誇りに思うし、感謝している。ラグビー続けてよかった。ラグビーやめなくてよかった。いつまでも少年の心を持った人間でありたい(/ジャンピエールリーブ)。親父リハビリ頑張れ!


PS.
いよいよ21日、日本選手権決勝戦が国立で開催する。東芝ブレイブルーパス vs 神戸製鋼コベルコスティーラーズは14:00キックオフ。その30分まえに日本代表キャップ授与式が行われる。ボクも参加します!!!


親父2 2004.03.17
 
優しかった親父は、中学に入っても毎週欠かさずボクをグランドまで送迎してくれた。そのかいあって、最後までスクールを辞めることなく無事に金盤の卒業証書をもらうことができた。親父のおかげ、そして家族みんなのおかげだ。しかし、その親切な親父の行動とは裏腹にボクはいつもことあるたび、次にあったことを言い続けた。

6年生時のとき、ラグビースクール10周年記念行事として初のNZ海外遠征があったのだが、ボクは帯同できなかった。自己負担金が2人になると大きな額になることと、まだ小学生ということで、兄貴しか行かしてくれなかったのだ。ボクは自動的にBチームに降格。補欠はボクにとって始めての出来事だった。親父はボクにこう言った。『海外やら、もっと大きくなってからいつでも行けると!』兄はキャプテンだったので、NZ遠征に参加。このときが1番つらかった。当時親父を恨んだ、『なぜ兄貴だけ・・・』。ボクはこのころ反抗期になっていた・・・。

行かなかったBチーム中心のメンバーは、お盆休みに恒例の湯布合宿にて対外試合。6年間ずっとフルバックだったが、ここで初めてのポジション、10番スタンドオフになった。この合宿のBチームキャプテンとしてチームを牽引。2連勝で幕を閉じた・・・。

続く・・・


3月15日は・・・ 2004.03.15
 
ボクらの7回目の結婚記念日(ホリも…)であると共に、親父のバースディーでもある(タイニーも・・・)。みんなそれぞれおめでとう!!!

うちの親父は現在入院中だ。もう半年以上経つだろうか?昨夏にお見舞いに行ったときには、ずいぶん痩せた親父の姿があった。しかし、だいぶ回復したと聞いている。うちの親父は怖かった。と言っても兄貴ら曰く、それはボクが小学校に入学するときにはおとなしく?なったらしい。なので、ボクはあまり覚えていない。ボクは3男だったこともあり、ずいぶん甘やかされて育った。いつもボクには優しかった親父は、毎週日曜日ボクを練習グラウンドまで車で送ってくれた。PTA会長だった親父はいつも運動会の始まりの挨拶をしていた。中学に入るころ、131cmと小さかったボクにぶら下がり健康器を買ってくれて、よく一緒にぶら下がったり、懸垂したりした。この時期から身長はグンと伸びていった。試合があると必ず写真を撮って応援してくれた。しかし、そのころ喘息がひどく、約一ヶ月ラグビースクールを休んだことがあった。その時、もうラグビーを辞めようと思ったが、兄貴と親父に励まされ、車で送ってもらった覚えがある。あの時、ラグビーを続けようと思い直したのは、当時スクールのキャプテン出身だったその兄貴の弟という立場もあったが、親父の一言がいまでも耳に残っている。ニコニコしながら『もうちょっと頑張ってみんしゃい』、と・・・。

続く・・・


Dear Rina... 2004.03.12
 
Happy Birthday to you!!!!!
I personally appreciate all your efforts to protect our three daughters and me myself.
Though I cannot celebrate your birthday with you because of our Saturday's match,I will bring you the victory against Toshiba Tomorrow.
Now I promise to challenge the battle in my power,so please watch me at the stadium.
I promise to win the match.

With lots of Love

Wataru & Family
12/Mar/2004


日本選手権準決勝! 2004.03.11
 
今週はあっという間だった。中6日とあって、試合はあさって13日(土)に行われる。

ヤマハジュビロラガーは今週ずっと4時から練習をやってきた。まだ寒いが、いい調整ができている。みんなもベストコンディションを保っている。東京・秩父宮ラグビー場とあって、場所はアウェイ(14:00キックオフ)だが、ボクにとってはホーム同然、張り切ってゲームに挑みたい。ボクのラグビー人生30年の集大成をお魅せします。ぜひグランドまで足を運んでください!

ヤマハが東芝に勝つためには心1つ、気持ち1つ、チーム一丸で戦うことだ。
WE CAN DO IT !!!


PS.
プルルルルルルッ、ガチャ
イトウ(タケ、神鋼伊藤剛臣)です。
Wata『元気か?久しぶりだな・・・』
タケ『ベスト4おめでとうございます』
Wata『ありがとう、調子どうだ?』
タケ『イイッすよ、でもちょっと・・・が…、』
Wata『良くないじゃん?』
タケ『もう大丈夫です。今週は・・・、』
Wata『とりあえずそれは良かった。』
タケ『また何かネタができたら連絡しますね!』
Wata『それだけか?』
タケ『ハイ、お互いに頑張りましょう!』
Wata『またな!』

ちょっと疲れ気味のイトウだったが、いまはつかの間のOFFなんだろう。彼がONになったときは、誰も止められない。それはラグビー場だけでなく…。


ヤマハ初の4強入り・・・ 2004.03.08
 
先日行われた日本選手権準々決勝、ワールドとの試合は36-20で勝利。我がヤマハ発動機ジュビロは初めてベスト4入りを決めた。一昨年はクボタに1点差敗退、昨年はNECにドローもトライ差で涙を呑んだ。そして今年、3シーズン目にしてようやく新たな道が拓けた。日本選手権出場も初ならば、ベスト4入りも初。試合内容は、ヤマハのHP試合結果(ホットニュース)に委ねるとして、いよいよ新しい歴史を刻むべく、未知の挑戦がスタートした。

本日、プールリカバリー後、試合メンバーによるレビューミーティングを行なった際、ヘッドコーチ兼任のマットソンが、『いままでベスト4以上の大会に出場したことがある者?』と質問すると、ヤマハにはボクを含めて5人しかいなかった。意外だが、それが事実なのである。

準決勝の相手は、トヨタに完勝した東芝府中だ。トップリーグ2位、MSカップも準優勝と、あと一歩のところでタイトルを逃しているチームでボクの古巣でもある。タレントも揃っていれば『向かうところ敵なし』、といった横綱試合でトライを量産。ホントに強いチームになった。加えて経験値で言えば、当然東芝が1枚も2枚も上になるし、実際MSカップでヤマハは後半から終盤に崩され完敗した。

ただ、この1ヶ月の間に、ジュビロラグビーは生まれ変わった。今シーズン東芝とはこれで3度目の対戦になるが、今のところ1分け1敗(未だ東芝戦未勝利?)。同じチームに連敗したことのないボクにとっては『3度目の正直』、1点差でもいいから勝つゲームメイクを心がけ、チームを勢いよく乗せれるように演出したい。強いと言えども弱点は必ずある。チャレンジ精神で、古巣に一泡吹かせたい。最後に、この発展途上チームジュビロに、2度目の敗戦はありえない…。


PS.
その前日、サッカージュビロ磐田は、宿敵マリノスに1-1の同点。PK戦の末、4-2で勝利!ゼロックススーパーカップを手に入れた。先発にトシヤ、後半途中からはゴンが出てきて元気な姿を見せてくれた。今週13日(土)、同じ日にJリーグも開幕する。お互いに忙しいが、21日(日)の決勝戦(国立)はOFFなので空けてます、と言っていた。願い叶うかは今週の東芝戦次第。負けられん!
左から
セワブ(初デビュー)、Wata、
ボッチ、デラサウ、シンディー
/花園ラグビー場にて
ボッチ&シャーマン
(中村優一郎=初デビュー)
/東花園駅にて


努力に勝る・・・ 2004.03.03
 
『努力に勝る天才なし』、いろんなところで使われていることば。
母校、東福岡高校の校風でもある。
先日、風呂場で木曽と話してたら・・・

木曽『Wataさん、ボク小学校3年生の時、逆上がりもできなかったんですよ』
Wata『へェ〜』
木曽『でも当時の担任がずっと励ましてくれて、できたときには一緒に喜んでくれて…』
Wata『いい先生だったんだな〜』
木曽『ホントそうです。努力することを学びました。必要ですよね〜』
Wata『もちろん』
木曽『でも高校時代は忘れてたんですよ、すでに195cmあったから…(向かうところ敵なしで・・・)』
Wata『ラグビーも幼少からかじってたしな?』
木曽『でも高校JAPANの合宿で思い知らされました。ボクよりでかいのがいて・・・』
Wata『平塚(トヨタ199cm)か?しかいないよな…』
木曽『また3000m走とかもみんな速いんですよ、ボクなんて最悪!16分台でしたから…』
Wata『遅っ、そのタイムじゃ・・・』
木曽『プロップより遅かったです。それからですね、努力を思い出したのは…』

(ボクも高校JAPANの一次合宿は苦い思い出だらけ・・・。3000m走はSHで1番遅く13分以上かかったし、50m走では現在セコム監督の加藤と一緒に走って差をつけられ7秒かかったし、筋力はぜんぜんなかったし、ミーティングには遅れるし、おまけに小さかった(当時163cm、57kg)から’子供’なんてあだ名も付けられて…/Wata)

木曽『それから猛練習して最後の高校ジャパン合宿の時には12分台で走ることができて・・・』
Wata『平塚の11分台も凄いけど、約4分もタイムを縮めたお前も凄いな!』
木曽『フィットネス担当古川さんの言葉は嬉しかったな〜。よくここまでタイムが伸びたって。』
Wata『タクオか?懐かしい名前だ…』

(でも、ステップだけは褒められたな。みんなの前でもう1回やったりして…、でもこの一次合宿で落とされて内心ホッとした自分がいたのだが、いま考えると情けない。ただ、当時はトップレベルの選手を見れただけでも収穫あったかな。奈良修(秋田工→東芝府中)とか・・・/Wata)

Wata『きそA型だろ?』
木曽『わかります?ボクめっちゃ几帳面ですよ・・・』
Wata『私服の整頓とラインアウトのミーティングや練習見てればわかるよ。』

話は続いた・・・。

木曽とは1999年のジャパンからの付き合いだ。初めて一緒に試合したのはその年のW杯壮行試合スペイン戦だ。キャップ対象試合ではなかったが、リザーブ組の試合とあってみんなかなり気合が入り、スペイン代表に大勝した試合でもある。そのときのポジションもフランカーだった。身体もジョセフや土田コーチに鍛えられ、みるみる大きくなっていたころが懐かしい。あれから5年目、木曽は1度ジャパンを落ちるも見事に復活。昨年のW杯でもロックで活躍。そういえばうちのSO堀川(早稲田出)も、昨春、ジャパンの控え組だった木曽にアドバイスメールを送ってたらしいな、『努力は運を支配する』、いい言葉だ・・・。

今日も昼時、一緒に社員に日本選手権のチラシを配り、『応援よろしくおねがいします』と、声を出していた木曽。今週のワールド戦、ラグビーボールは、すべて木曽の手に吸い込まれていくことだろう・・・。


PS.
本日、ヤマハコミニュケーションプラザにて、ジュビロ磐田からゴン、俊哉、ラグビー部からWata、クボッチ、この4人でトークショー?が行われる。社員300名が集まるこの中でどんな話になったのか?また次回・・・。


日本選手権ベスト8出揃う! 2004.03.01
 
先週末、ヤマハは地元磐田で3日間のミニ合宿を行った。基本プレーにラインアウトやスクラムの確認、BKのムーブ他、いろんな意味でチームが結束。個人的にも練習後にはプールでリカバリー、2部錬だったため、1日に2回行ったりでいい感じだ。最終日にはサントリーと試合、負けはしたものの、久しぶりの試合で選手はゲーム感覚を取り戻し、いい意味で日本選手権に挑めると思う。

そして、7日の対戦相手がワールドと決まった。ワールドとは毎回接戦、トップリーグでも最後に逆転と、ここ3年間は1〜2点差の辛勝なのだ。ただ、個人的にはいままで1度も負けていない相手なので、今週もしっかりとしたゲームメイクを心がけ、チームの勝利に貢献したいと思っている。場所は花園で12:00キックオフ。いまから楽しみだ!


PS.
カントー、早稲田が共に社会人の強豪NEC、ワールドに善戦!敗れはしたものの、次戦への可能性を期待する結果となった。お疲れ様でした。しかし、社会人としては、アウェイ(観客)でモチベーションも難しい中、番狂わせがなかったことにホッとしているのは選手自身。次戦に向けてはいい薬になったのではないだろうか!?負けたらそこでシーズンが終わる最後の大会、日本選手権。1日、1分、1秒でも無駄にすることのない様、チームはワールド戦に向け全力を尽くします!

※先週ヤマハ恒例の2-ラインに、2月生まれを隠していた寺井(12日)、辻井と中越(26日)、河田(27日)、シャーマン(28日)がBDシャワー、そして怪我から1年ぶりに復帰、この試合でロスタイムにトライを取った(ソトゥトゥにも間違えられたことのある)サンコンこと菅原がチームメイトにペットボトルシャワーを受け、祝福された。そして、合宿最終日の試合後、チーム全員でいつも大変お世話になっているホイッスルスポーツクラブにてプールリカバリー。その受付のMITUYAさんが2/29にめでたく結婚!みなさん、本当におめでとうございます。