■ 奇跡のラグビーマン メイキングストーリー 1

スクラムハーフとは縁がある。

スポーツライターとして初めてラグビーを題材に書いた記事が、慶大OBの日本代表SH生田久貴だった。三菱商事で商社マンとして働きながら、日本代表でプレーする姿をレポートした(『ナンバー』1986年12月5日号。『楕円球に憑かれた男たち』洋泉社1997年に収録)。翌1987年には『東京中日スポーツ』で、天才スクラムハーフと騒がれた堀越正巳に焦点を当てて『早大“荒ぶる”序曲』というシリーズを連載した。大学王座から10シーズン見放されていたワセダが、勝負師・木本建治監督のもと、じわじわと力をつけて頂点に上り詰めていく様を描いた。記者にとって、年間を通じてラグビーを追うようになった原点のシーズンだった。

その翌年となる1988年。村田亙が大学ラグビー界にデビュー。その後も、明大からサントリーに進んだ永友洋司や田中澄憲、早大から三洋電機、オックスフォードと渡り歩いた西岡晃洋らを題材に多くの作品を書く機会を持った。身長151cmで昨季法大の副将を務め、今季から東京ガスでプレーする穂坂亘も忘れられない選手だ。

なぜスクラムハーフに惹かれるのか。おそらく、ラグビーで最も矛盾に満ちたポジションだからではないかと記者は思っている。大男が力ずくで戦う肉弾戦――そんなイメージが強いラグビーにありながらスクラムハーフには小柄な選手が多い。事実、スクラムハーフを始めた理由を聞くと「体が小さかったから」という答えが返ってくることが多い。

スポーツライターとして惹かれるのは、彼らが抱える矛盾、失礼を招致でいえば屈折しているところだろうか。スポーツ選手に限らず、あるいは男女を問わず、たいていの人は多かれ少なかれ、高い身長に憧れた経験があると思う。ましてラグビーの世界では体自慢、力自慢のパワフル野郎が居並ぶ。小柄な選手が活躍するのは並大抵のことではない。スクラムハーフの多くは体の小ささゆえにそのポジションを与えられ、体の小ささを克服する努力を重ね、いくつものハードルを乗り越えて今日の位置を掴んだのだ。彼らの足取りとは、より大きな体に憧れる心情を持ちながら、大きくない体で大きな相手と勝負しようとする時間の積み重ねだろう。プライドは必要だ。でもそれは、傷つくことを怖れるようなナイーブなプライドではない。どんなに過酷な環境にあっても決して諦めず、自分の力と意志を信じ続け、逆境に挑んで克服する己への確信であり、そうして生きていくことへの覚悟だと思う。

村田亙とは、その極致たる存在である。

本書では、中学入学時に131cmしかなかった村田亙の子供時代のエピソードが多く登場する。中学3年の担任教師は「その体ではラグビーは無理だ」と断言したという。そんな少年が、どんな時間を経て、日本のトッププレイヤーに、外国で活躍するプロ選手第1号に、最年長の日本代表で活躍する存在になったのか。本書を取材する過程すべてが、記者自身に、とてつもない生きる勇気を与えてくれた。村田亙の生き方に触れること。それは、ラグビーへの興味のあるなしを問わず、多くの人にとって生きる力になると思う。それが本書を書こうと思った動機の大きな部分だった。

(大友信彦)


 
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